Graffiti, or What's New?


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2002.11.19


■ぱ〜む脱力ゲーム協会の公認に?…


 とても怪しくて、しかも由緒正しき、脱力系Palmwareの布教団体?であるぱ〜む脱力ゲーム協会会長さんも「シンプリー・パーム」を読んでくれたらしい。

■脱力協会ニュース 2002年11月18日(ぱ〜む脱力ゲーム協会)

「機長様が御監修されたとかいう「シンプリーパーム」でございましょう。な、何っ?メリケンの翻訳本ですとっ?で、機長様の御文は、たった2ページ?なにっ、それはゆるせんっ!という話しではございません」
(ぱ〜む脱力ゲーム協会「2002年11月18日」より)


 さて、「機長はいったいこの本で何をしたの?」…という質問はいろいろなところで受けるのであるが、いちおう自分なりに「監修者」とはかくべき、だろう、たぶん!…と思ったことはすべてやったつもりだ。(だって、「監修者とは以下のような仕事をする」という文章がこの世の中には存在しないので、自分なりにやるべき!と思った仕事をするしかなかったのだ!) とは言え、時間がなくて100%やりきれたのか?…という部分もあるにはある(あまり手の込んだことをしていると出版が遅れてしまうので、ある程度の時点、つまり「ここらへんだよね」というタイミングで作業を止めるしかなったというのは事実ある!)のだが、かなりの時間をかけて、あの本のためにいろいろなことをした。

 「あとがき」はもちろんだが、「注釈」のほとんども書いた(本文の各ページ隅についてる日本語版の注釈のうち、95%ぐらいは機長が書いた。中でも、PalmOS以外のPDAのことやPCのことや、基礎的なビジネス方面のことについては、あらためて勉強し直したことも多い!やっぱり適当なことは書けないから。)し、あの本文の中にも、機長なりに訳した文章がたくさん混じっている。

 もちろん、翻訳をしたのは私ではなく訳者の小林さんなのだが、そんな彼女の作った翻訳文をベースに、ときには、PalmOSの歴史に関する専門家として、ときには、主要登場人物たちの息づかいを知っている人間として、ときには、独自の日本語訳の手法(勝手に「機長訳」と呼んでいる自分流の翻訳スタイル)を使って、あの本にはたくさんの手を入れさせてもらった。もちろん、全文を訳した小林さんにはかなわないが、私にとっては愛しても愛しても愛しきれないほど愛情をこめたつもりだ。

 その他にも、年表なども、編集者である佐藤さんの基礎原稿をもとにいろいろ書き込まさせてもらった。(なお、年表については最後のところに2行ほど余白がある。あそこには、みなさん各自で「タングステン」のことを書き加えて欲しい。ご存じのようにTungstenの発売は10月28日、つまり、「シンプリー・パーム」よりも後になってしまった。たぶんこのタイミングで発売されるだろうという情報は入ってはいたが、これまでの歴史的経緯から言っても絶対に28日に発売されるという保証もなく、ちょっとでも遅れたら11月の発売になってしまう。そこで、あの部分は白紙にした。「ザイヤ」などは編集者の気遣いにより、なんとか出版前のギリギリのタイミングであの年表に入れることが出来た。ラッキー!)

 生まれて初めての「監修本」ということもあるが、本当に思い入れ深い本だったりする。

 ところで、読者の方からしばしばもらう質問というよりも、リクエストとしては下記のものも多い。


「日本の読者から見ますれば、パームの日本への上陸や日本語化の経緯は読みたいところが口惜しいところでございましょうか」
(ぱ〜む脱力ゲーム協会「2002年11月18日」より)


 ぱ〜む脱力ゲーム協会の会長さんは、あの本にそれが欠落していることを残念なポイントとしてあげていたりするのだが、他の方の場合には、どうせ機長が監修するなら、その部分を書き加えてもらよかったのではないか?というような形で語られることが多い。

 この点については、そのうち皆さんに「ある種の解答」が出来るかもしれない。出来ないかもしれない。ま、それが出来るも出来ないも、「シンプリー・パーム」の売れ行き次第だったりもする…。







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