突然だけど最終更新だ。しかも今は世間では夏休み。なんでまたこんなタイミングに?!…というのも、実は今回の最終更新の理由のひとつだったりする。とにかくパルマガは今日限りで活動を停止する。 さて、パルマガ活動停止について説明する前にまず、パルマガの歴史について軽く振り返る。 そもそもパルマガが生まれたのは2001年12月10日、今から2年半ほどまえのことだ。それまでは自分一人のサイトを地道に更新してきたのだが、ここで初めてたかゆきえさんというパートナーを見つけて、生まれて初めて複数ライターによるサイトというものを作ってみた。なぜか?当時すでに、私一人でサイトを運営することが困難になっていたからだ。当時の読者は、いや、現在の読者でもその点について疑問を持っている人はいるだろうと思う。私はその頃でもちゃんと定期的に更新を続けていたじゃん? 確かにその通りだ。多少の不定期感はともかく、当時ですらも私はサイトの更新を続けていてはいた。だが、それまでのサイトに比べると、その背景的な心理状態はかなり違っていた。 ■パーム航空(1997年11月8日〜2000年2月7日) …ほとんどの期間を、完全なる情熱と完全なるサポート体制で続けてきた。だから、あのサイト時代には、読者からのあらゆる質問や抗議にも対応することが可能だった。(それをするかしないかは別問題として!) ■iPAL-NEXT(2000年6月21日〜2001年12月9日) …一度はサイトを閉鎖した私だったが、これなら継続も可能だ!と見つけた手法で作ったのがこのサイトだった。つまり、記事だけをもの凄い速度で書き上げてアップするだけで、記事と記事の間の整合性や、パーム航空時代にあったような各種の「コミュニティ」的な温かさを放棄した製作体制でこのサイトは作られていた。 ■パルマガ(2001年12月10日〜2004年8月15日) …「iPAL-NEXT」の形式ですらもサイトの継続更新が難しくなった私が考えた次なる「手抜きの方法」、それがパルマガだった。とにかく、自分だけでなく複数のライターが揃うことで、自分自身の更新頻度の不定期化は誤魔化せるし、才能豊かなライターさんを発掘する楽しみは自分に新たなモチベーションを与えてくれたし、サイトに新しい魅力が追加された。 ということでパルマガ時代は、自分自身が予想した以上に充実した日々を送ることが出来た。もちろん、それは、このサイトのために無償で記事を書き続けてくれた素晴らしいライターの皆さんのおかげなのだが、やがて、正確に言うと、2003年頃からはパルマガの新しい魅力の部分ですらも私の活動が疎かになってきた。それはおもに、本職の忙しさがますます厳しくなってきたことによるが、サイトのプロデューサーとして、優秀で勢いのある新人ライターを恒常的にスカウトし続けるという作業が停滞してしまったことで、そもそもがライター個人の気概だけに頼ってきたこのサイトの生命線にかげりが出てしまった。その最たる結果として、多数のライターを抱えながらサイトの更新頻度は不定期化(最後の一ヶ月ほどは安定したが、これは意図的なもので、恒常的にこの水準を維持することは出来ない!)した。 正直言うと、パルマガは2003年秋で終わっている予定だった。正確に言うと、そのタイミングで別のサイトに変質する予定だった。ところが、そうはならなかった。実際、googlewhack-japanの専属ライターから偶然発掘されてパルマガライターになった敦仔さんやeyeさんを覗けば、2003年3月のpangaeaさん以来、新人作家は勧誘していない。パルマガは2003年秋を最後にその役割を終える予定だったのだが、とある非常事態のために、私の思惑とは別にその継続が決まってしまった。では、その非常事態とは何か? 予定していた「プロジェクト・パーム」の出版が延期になったことだ。 つまり、「プロジェクト・パーム」という幻の自著を出版するための出撃基地として、「パルマガ」を継続してきた。ところが、同書の出版が出来なかったために「パルマガ」の寿命も自動的に継続してきた。 だが、パルマガの熱心な読者なら、というより、パルマガの熱心な読者であればあるほど気づいていたはずだ。とある事情で比較的恒常的な更新をしてきた最後の一ヶ月ほどを除くと、2004年に入ってからのパルマガはあまり魅力的とは言えないサイトに堕していた。もちろん、相変わらず魅力的なライター諸氏からの魅力的な記事の更新もあったのだが、それもごくごく不定期な更新である。その結果、複数ライターサイトの弱点がはからずも露呈した。ライターが個人なら、その更新が不定期でもそれほどの違和感はない。なぜならそれは「個人の意志がプツリプツリと途切れただけ」なので、読者が勝手にそのバラバラの破片を繋ぎ合わせるだけでいい。 ところが、パルマガのように複数ライターが集っているサイトの記事更新が不定期になると、非常に困ったことが起きた。そもそも「お気楽更新」をポリシーとするパルマガの場合、記事の更新が不定期になることはそれほど異常なことではない。だが、不定期な更新が続くようになると、複数ライターが揃っているがゆえの問題点がやがて露呈してきた。つまり、更新の切れ目と、その時の偶然配置された最後の記事の性格が、読者にこのサイトの性格を誤解させる結果となったのだ。本当にそれらは偶然の産物によるものなのだが、これらの偶然を読者は無意識にこのサイトの性格と考え、時には私に抗議し、質問してきた。多くの場合は、そのままこれらの偶然が読者にとっての必然となった。 それは例えば、ライターAが「○○反対!」と書いた次の記事でライターBが「△△反対!」と書いて、そのままサイトの更新が数日間ストップしてしまうと、このサイトの性格は非常に「抗議色の強いサイト」に見えた。また、ライターAが「◇◇社って最高!」と書いた直後に、ライターBが「◇◇社の製品はいい!」と書いたまま更新が数日間ストップすると、これまた◇◇社の御用サイトのように見えてしまった。他にも数パターンの不幸が何度も何度も繰り返した。これらはライターが一人しかいないサイトであれば起きえなかったことだ。だが、複数ライターのサイトの場合、こういう悲劇はしばしば起こる。とくに更新が不定期になった場合。それでも主宰者である私にもう少し余裕があれば、サイトのバランスを保つための記事を「くさび」のように書き込むことも出来たはずだ。だが、私にその種の余裕がなくなったことで、2004年以降のパルマガの性格はかなり不安定になっていた。 しかも、私は「余裕がない」という同じ理由で、パルマガのライターの皆さんに、よほどの理由がない限り「自主リタイヤ」も認めてこなかった。別に強制をした訳じゃなく、余裕がないので、よっぽどのことでもない限り、「そのままにしておけば」というスタンスでライターに接してきた。その結果、まさに私のせいで「幽霊ライター」も増えた。そんな幽霊ライターもまた、実は意味を持ってしまう。本当は私のせいなのに「なんで記事を書かないの?」と非難されたり、ライターはたくさんいるのに記事の少ないサイトはあまり元気なサイトには見えない。これらもすべて私が起こした失策だ。「プロジェクト・パーム」出版までは頑張るぞ!と思って続けてきたこのサイトだが、そろそろ限界に来ていることを、誰よりも自分が感じていた。 そして2004年夏、私は「パルマガ」の活動停止を決意した。とにかく私に余裕がないので、「活動停止を前提にしたイベントとか盛り上げ」すらない。しかも、こちらの事情のため「毎年読者が激減するお盆の真っ盛りに活動停止」する。なんて、わがままな行動!許して欲しい。本当に余裕がないのだ。ここ数年の私は読者から二つの感想を言われることが多かった。 A)「忙しい忙しいと言いながら、相変わらず記事の更新は凄いじゃないですか」 B)「以前に比べると記事の水準が落ちていますよね。もっとペースを落とした方がいいのでは?」 この二つの指摘は実はどちらも正解だった。「iPAL-NEXT」時代以降、私は誰もが驚くほど短時間で記事を書くが出来るようになった。たとえ原文が英語記事であってもだ。それはもはや職人技のような作業である。ただし、それと反比例するように、記事の面白さや深みはじわじわと失われていった。マシンのように書いた記事はマシンのように薄味の記事でしかない。私もとうとうそんな記事を書くことに疲れてしまった。そんな心理的な背景も事実だ。 さらに言っておきたいことがある。日本でPalmやCLIEが微妙な時期だからパルマガを辞める?…という素朴な、本当に素朴な質問についても答えておきたいと思う。それはある意味当たっている。なぜなら、日本でPalmやCLIEが全盛期なら「プロジェクト・パーム」という本は、その勢いに乗って今すぐにでも出版できただろう。そしたらパルマガがこんな終わり方をすることもなかった。それは事実だ。だが、日本でPalmやCLIEが微妙な時期だからパルマガを辞める?というシンプルな質問へのもっとも大切な答はNOだ。 もしも私に「余裕」があるなら「日本でPalmやCLIEが微妙な時期だから」サイトをじゃんじゃん更新し続けているだろう。ご存じのように、私がもっともサイト更新に情熱を燃やした時期、つまり「パーム航空」の時代は世間がPDAを歯牙にさえかけない時期だった。ごくたまに振り向いてくれてもそれはシャープ社の製品だけ。あるいはMicrosoft社の製品だけという時代だった。そういう時代にPalmという旗印を奉じてサイト活動をすることは、めちゃくちゃ楽しかった。今でもその頃のような「余裕」があるなら、じゃんじゃん書いてるって!ついでに言うなら、2000年2月に「パーム航空」を閉鎖する時、当然のように私はその後に続く日本でのPalmの活動予定(つまり、パーム社の日本法人が日本に出来て以降の夢のような日々の概要など)について知っていたし、当時のPalm社日本法人のトップの人間からまだまだサイトを続けて欲しいと依頼られたりもした。だが、個人の事情でそれはお断りした。という訳で、少なくともこれまでに関する限り、サイトを辞める時も続ける時も、決して周囲の流れに流された訳ではない。私にとってPalmも大切だが、もっとも大切なのは私自身の事情だ。 という訳で、パルマガは今日を最後に活動を停止する。読者の皆さん、長い間、ありがとう。そして、ライターの皆さんも本当にありがとう!そもそも、パルマガの楽しさは「私自身がこの人の記事を読みたい!と思った人の記事を書いて貰う」ことにあった。中には、お願いしてもお引き受けいただけなかったライターの皆さんもいるが、お願いしたほとんどの方に快諾して貰った。そして無償でたくさんの記事を書いて貰った。本当に感謝している。ちょっと残念なのは、私のウェブ知識のなさで、過去記事を読むことがあまり簡単ではないことだ。検索ページから検索をかければ不可能ではないが、一ヶ月ごとに記事を読んだり、一週間ごとに記事を読んだりすることが出来ない。誰か、そういうページを作ってくれたら嬉しいけど、可能?もっとわがままを言えば、ライターごとに記事を集めたりして読みたいという欲求もある。そうやって各ライターの過去記事をいつか読んでみたい。それぐらいに、私の好きなライターばかりを、私は集めた。ある意味、夢の殿堂がこのパルマガだった。 さて、今後について。パルマガライター各氏については、それぞれご自身のサイトで更新を続けたり、またはそれぞれの人生に戻ったりといろいろだけど、少なくとも私は新サイトを始めます。その名も「プロジェクト・パーム」。この幻の本を世に公開することを目指すサイトです。どんな内容になるかは未定。とにかく、その本の出版を目指して頑張るつもり。どう頑張るかも未定。未定だらけのサイトなのが玉に瑕だ。 では、長い間パルマガにお付き合い頂いた読者の皆さん、お盆中のカットアウトというわがままな活動停止をお許しいただきたい。 ばいばい! 2004.08.15 機長 新サイト「プロジェクト・パーム」 ※パルマガ(2001年12月10日〜2004年8月15日) アクセス数=4,213,083 access |